石巻に行ってきました。

3年ぶりに、石巻の移動支援Reraさんのところへ行ってきました。
このブログには珍しく、じっくり見てきた事を書いてみようと思いますので、ご興味のある方は読んでいただければ嬉しく思います。
10年来の友人である村島弘子さんが代表を務めていて、その縁で今回が2回目の訪問でした。
前回行ったのは2011年の7月。まだまだ震災の爪痕が生々しく、あちこちに壊れたままの建物や車、がれきがあちこちにうずだかくつみあがっていました。仮設住宅はまだ建設中で、避難所に住まわれている方もいる頃でした。
Reraのしている事はそのころと同じ移動支援。
広い石巻市で、車を失って病院も買い物もままならない方々を、あちこちから集まった福祉車両やボランティアの車で送迎するという支援でした。3年前は、避難所から病院通いだとか、お風呂、買い物、仮設へ引っ越し、老若男女いろんな方々を送迎した記憶があります。
3年がたち、被災地は順調に復興に向かっているような気が、なんとなくしていました。
でも実際Reraの活動に参加させてもらって、地元の方と話をさせてもらい、まだまだ問題は山積で、一口に「復興」と言っても、かなり難しい問題をたくさんはらんでいるんだなあという事を実感しました。


10325154_629144087171404_2929912358761201745_n.jpg
 
ライオンズクラブからReraに寄付されたリフト付き福祉車両と仮設住宅
まずReraへ行って何をするかというと、ドライバーさんの助手席に座らせてもらって、送迎のお手伝いです。
写真の仮設はかなり市街地から離れた田んぼの真ん中のようなところにあり、足の悪いおばあさんの市街地の病院への送迎でした。協力費として、送迎距離3キロにつき100円をいただいています。
3年も経つと、自力で生活できる人は仮設を出て行きます。車を持てる人は持ちますし(そもそも車なしではまともに生活できない)、復興住宅もすこしづつできてきて、そこへ移る人もいます。
でもそこから出る力のない人は、まだまだバスも来ないような仮設住宅に住んでいます。
この仮設では、おおきなスーパーへの巡回バスが来ていたそうなんですが、最近廃止になったそうです。
使う人が減ったのでしょうけど、ゼロではなかったはずですね。
今多いのは、人工透析の送迎です。週3回、病院へ行って透析をしながら命をつないでいる方々。
広大な石巻市に、もともと透析のできる病院は2つしかありません。
震災前は、家族に送ってもらったり、近所の人と協力して通っていたであろう人達。
しかし震災で、家族も地域のコミュニティもバラバラになり、病院から遠い仮設や、自宅から、公共交通機関もない状態で、支給される月1500円分のタクシーチケットで…。これではタクシーしか手段がない場合、よほどお金に余裕のある人でないと通えません。
Reraが今送迎しているのは、そういう方々でした。
お年寄り、体が不自由な方、障害のある方、福祉有償運送に頼れるほどの重度の障害ではない、でも公共交通機関がない、不便すぎる(路線バスが週に3往復、なんていう場所もあるようです)、身寄りがない、家族と離れて住んでいる、居ても頼れない…。
ともすると、自立を妨げているとか、タクシーやバスのお客を奪っていると言われてしまいがちなReraの活動だそうですが。
実際助手席で利用者さんたちの話を聞いていると、そんな事ではないというがわかります。
ちょっと病院に行くのに、何千円も交通費を払わないとならないとしたら、もしかしたら病院へ行く事自体をあきらめてしまうような人達。
助手席で、いつもの利用者さんたちが、「これからもお願いしますね」「なくなったら困る」という事をおっしゃるのを何度も聞きました。
自立できる方はとっくに自立しているでしょう。動かない体を抱えて、Reraがなければ仮設の外へ行くこともできないような方が、制度の隙間に落ちるような形で少なからずいらっしゃる。
Reraの特徴的なところは、ドライバースタッフも地元の方がほとんどであるというところです。
毎日違うスタッフの方の助手席に乗らせてもらって、いろいろお話を伺いました。
津波から命からがら逃げた方のお話、震災当時の話、亡くなった方の話。
みなさん明るく日々の活動をしているのですが、ご自分も当事者なんですね。
利用者さんがどんなに困っているか心底共感できるからこそ、続けられる事なんだろうと思います。
運転技術も抜群で、体の不自由な利用者さんにとても優しいReraのスタッフのみなさんはとてもかっこよくて、プロフェッショナルだなあと思いました。Reraの母団体だった札幌のHOPさんで研修を受けたり資格を取ったりしたそうです。
送迎中、利用者さんとの何気ない会話の中から、健康状態や今後の生活(復興住宅の抽選の事など)を聞いて、ミーティングで共有することで、ちょっとした変化にも対応できるようにしています。たとえば急に認知症が進んでしまった方など、送迎で気づいた事を地域の福祉の方と連携して対応してもらうなど。そういう意味でも、Reraは一つの役割をになっていると言えます。
実際に接するドライバーさんや、送迎申し込みの電話の様子で、さりげなく見守っているという事、利用者の方はもちろん、やむを得ず離れて暮らしている家族の方にもとても心強い事ではないかと思います。
そもそも石巻や、きっとほかの地方都市でも、車を運転できないお年寄りの移動困難という問題はもともとあったものなのだと思います。
石巻では、震災がきっかけでそれがとても顕著に問題として出てきていますが、震災がなくても、この先十年もして高齢化が進めば、今と同じような状態になっていたのでは、とおっしゃる方もいました。
実際Reraの車に乗ってみて、利用者さんのご高齢であること、石巻の広さを肌で感じて、「移動困難」という事はとても腑に落ちた感じがしました。健康で車が運転できるか、家族がいるか、お金がたくさん無いと、満足に病院にいく事もちょっとした外出もできない…。
Reraは、被災地の問題としてはもちろん、この先いなくなることはないであろう「移動困難者」の問題とも向き合い、悩みながら前に進んでいるという印象です。
たくさんの方から賛同を得て、寄付金や補助金で活動を続けるReraです。
正解がない中で、困っている方をとにかく助けたい一心で活動を続けるReraの皆さんを、これからも応援したいと強く思いました。
Reraホームページはこちら
移動支援Rera
寄付、サポート、ボランティアの募集はこちらから
http://www.npo-rera.org/supporter.html

他にも、復興住宅の用地が決まらないために、平成29年度以降の着工予定なんていうところがあったり、田んぼをうめたてて作るため、土地を固めるのに何年もかかるとか、それなのに頼みの仮設住宅は黴の濃度が普通の住宅の150倍(!)という事がわかったとか、そもそも床が抜けたりもう建物が持たないのでは…オリンピックが決まってこっちに建設業者が来なくなった…などなどなど、まだまだ復興というには問題が山積みなんだという事も、皆さんとの会話の中でわかりました。
今回の休暇にあたり、どこか旅行に行くという選択肢もあったのでしょうけれど、石巻へ行って、懸命に活動を続けるみなさんに会えた事で、私自身の今後の人生において、学ぶことがたくさんあったと思います。たいして役には立てなかったけれど、行ってみて本当によかったです。
あと、個人的には、頼まれて技術もないのに作ったReraのかもめのロゴが、あんなにも親しまれているという事がとても誇らしかったです。
3年前はどうしても撮れなかった写真ですが、今回は記録してみましたので、以下に掲載します。

10435834_631288080290338_7052386635003414845_n_R.jpg
 

危険地域に指定され、住宅が再建できない地域。野原と化した中に住宅の基礎が残っています。古い住宅が密集するところだったそうです。

10372255_631288110290335_98206810751036504_n_R.jpg
 
門脇小学校を臨む。

10389596_631288163623663_575066398879766294_n_R.jpg
 
サン・ファン・バウティスタ号復元船。400年前に伊達正宗が今のメキシコとの貿易のために作った木造帆船。
この慶長使節団をモデルにした遠藤周作の小説「侍」が、学生時代からの愛読書だったので、見られてよかったです。地形の関係か、この船はマストが折れるだけで被害がすんだようです。


10372047_631288130290333_4450495311110138116_n_R.jpg
 
海はとてもきれいで、まさかこの海が津波となって襲ってくるなどとはとても考えられません。


10434175_630408643711615_5079176547693636920_n_R.jpg
 
南三陸に連れて行ってもらいました。有名になった防災庁舎。住み着いた鳥の声が、雨の降りしきる中響いていました。

10471199_630408727044940_4746066031124646616_n_R.jpg
 
名物のウニ丼。仮設の商店街、さんさん商店街にて。素晴らしく美味しかった!

10365722_630408763711603_3662848843698278107_n_R.jpg
 
これも商店街で売っていた「絆ロール」ちょっと珍しい生わかめロールケーキ。
意外な組み合わせですが、美味しかったですよ。