落石計画第14期行ってきました。

今年もまた落石計画の季節がやってきました。

落石らしい霧のお天気。ギャラリートークの日に行ってきました。

メインの若い作家さんたちの作品、落石の土地と、旧無線局の建物と対話し、そこでどんな作品をどのように見せるか作家さんごとによく練られた展示で、すごく良かったです。
この場所でこういう見せ方があるんだ!とハッとさせられたり。
皆さんこれから活躍される作家さんだと思いますが、この場所で作品を見られたことは特別な体験だったと思います。

田中藍衣  この場所に展示されることを想定して制作された作品だそう。ぜひ近くでマチエールをしっかり見てほしいし、この空間と作品の調和を味わってほしいです。外の作品もお見逃しなきよう。
芦川瑞希 リトグラフを用いた作品。モノクロの都会的な風景とこの独特の壁が思いのほか調和していて壁ごと作品のよう。
チョン・ダウン 版画から始まりイメージ、ライティング隅々まで工夫された見応えのある遊び心あふれた作品。この空間ごとインスタレーションのように体験しました。

井出創太郎+高浜利也 対話空間(=銅版の茶室)は落石計画14期+コロナの休止期間の間じわじわと時を経て変化している部分もあり。最初はキラキラだった内側の銅版がくすんだ色になり、水がたまり、それでも外側にはすこしずつ石膏キューブが積まれ続けています。
この厳しい落石の自然の中で、建物と一緒に少しずつ時を経ていく作品。

根室生まれで旧無線局の建物を改修した池田良二先生から、井出先生、高浜先生、そしてまた若い世代へとこの場所で受け継がれていくスピリットを確かに感じて、胸が熱くなる思いでした。

車がないとなかなか行きづらいアクセスしづらい場所ではありますが、ぜひ一度訪れてほしいアートイベントです。

今期は8月11日日曜日まで。

落石計画 第14期 「霧界/Unbound」
8月7日(水)~11日(日) 10時~16時 入場無料
旧落石無線送信局(現池田良二スタジオ)
芦川瑞季 田中藍衣 チョン・ダウン

青森へ行ってきました。

だいぶ時間が経ってしまいましたが、石巻へ行った後、青森へ行ってきました。
思えば父の実家が札幌にあったため、幼少期に上野発の夜行列車と青函連絡船を乗り継いでいく旅を何度かしており、まったく縁のない土地ではなかったのですよね、青森。

一番の目的は何かというと、奈良美智さんの個展を青森県立美術館へ見に行く事でした。

奈良さんは、もちろん大学時代から知っている憧れのスーパースターでありますが、斜里や中標津、別海という身近な土地で開催されてたライブペインティングやトークのイベントに参加させてもらったり。そんなご縁で直接お会いできて作品にアドバイスを頂いたり、トビウ芸術祭に呼んでいただいたり、ファンであり、心の師匠みたいな作家さんです。

大学時代の私は登山とバイトに明け暮れていたので、そのころの奈良さんの展示をもったいない事に見逃していたはずですが、初めて作品を見たのは北海道に来てから別の展示を見に行った時に横浜美術館で見た「春少女」だったと思います。

奈良さんの作品に対して持っていた「ちょっと怒った感じの女の子の絵」というイメージがくずれて、吸い込まれるようにその絵の前で立ち止まったのを覚えています。

その後那須にある個人美術館のN’s Yard、トビウ芸術祭、豊田市美術館で開催された「奈良美智 for bitter or worse」展を見に行くなど、継続してその作品を見せてもらっています。

青森駅に到着した日の夕方は雪降りで、屋根のついている中心街をホテルへ向かう途中も屋根の意味がないくらい、大粒の雪が吹き付けていました。
昼までいた仙台には全く雪がなかったのに!
これが青森。

翌朝、また大粒の雪が降りしきる中、青森駅からバスに乗って青森県立美術館へ。

青森県立美術館。雪が降りすぎで遠景は撮れず

運転手さんよく運転できるな…ってくらい雪でした。
私はこんなこともあろうかとスノーブーツで準備万端でしたが、きっと都会から来たであろう一緒のバスのお客さんは普通にスニーカーだったり…それはこんな雪想像できないよね。

開館時間前のバスで行ったので、入り口で少しただただ真っ白な雪原(夏は多分庭)を見つめて待ちました…青森の雪すごい。私の知っている北海道の東側とは違う、すべてを覆い隠すような湿った大粒の降りしきる雪。それなのに(だからこそ)非常にしんとした、音のない世界。

チケットを買って展示室へ入ると大きなシャガールの「アレコ」にまず度肝を抜かれ、あまり下調べしていかなかったので…それについてはまた後で触れることとします(多分)。

そして「奈良美智 The Beginning Place ここから」展。

最初の部屋は「家」と題されたセクション。
最初期の作品が多く飾られています。
頻出する赤い屋根の家と、良く知られた女の子の絵になる前の、口を開けて歯を出した人物、動物たちなんだかどこか所在なさげな。
「カッチョのある風景」は武蔵野美大在学中に描いた絵だそうです。

「カッチョのある風景」とこけし

次の「積層の時空」の部屋ではポスターにもなっている「Midnight Tears」をはじめ最新の作品たちが。

私は奈良さんの作品の中ですごく好きなのは2011年以降の正面の少女像なのですが、
「Midnight Tears」は今まで見た作品の中で一番と言っていいくらいぐっとくる絵でした。
ほの暗い背景の中に、少女の形の何かが目に涙を湛えてただこちらを見ている。
圧倒されるような大きさで。
先ほど見た初期作品と同じように歯を食いしばって、怒っているのか、悲しんでいるのか、もしかしたら何かを反芻しているのか、、わからない。
でも少女とも何か他の動物とも、もしくは何か魂そのもののような存在にも見えるその絵の前から離れられなくて、ずいぶん長い事そこにいたように思います(そういう人のためにベンチが置いてある)。
絵画的な見る喜びもすごくて、瞳の中の光とか、ところどころほどけていきそうな輪郭とか、その快楽と、彼女の叫びとも祈りともいえない表情との間で、呆然としてしまう。
この絵は親しみやすさというよりもむしろ、遠くて尊い存在として、どこか静かな場所にあって、会いたい時に会いにいけたらいいな…そんな作品。

Midnight Tears

なんかもうこれを見れただけで来たかいがあったなと思いました。外は雪で真っ白なのに、この絵の色彩と熱で温まったような気がしました。

これで全然まだ序盤なんですが。

そうやって見る人によっていろんな見方の余地がある作品群もあれば、非常にはっきりとメッセージを掲げていたのは「No War」の部屋でしょうか。

子供のころからアメリカのロックやフォークに影響を受けたという奈良さん。
以前奈良さんがDJをしていたラジオ番組で私はそれらの音楽を聴きました。それまではほとんど知らなかった…。
そこに込められていた反戦のメッセージ。
当時はベトナム戦争の事がうたわれていたのかもしれませんが。
今…この戦争だらけの世の中で、今一度それらの声に耳を傾けるべきなのでしょう。
権力のために多くの力なき人が死んでいく戦争に、どんな理由があったとしても、NOと強く言い続けなければ。私たちもあっという間に他人事ではなくなってしまうのかもしれません。
奈良さんの絵は直接的に悲惨な状況が描かれているわけではありませんが、戦闘機、シェルター、炎、そして女の子、犬たち、言葉。
奈良さんの集めたかわいらしいオブジェたち、戦争とは、そして戦争を良しとする価値観は、こういうものを簡単に蹂躙していく。弱く、優しい、繊細なものたちを。
一部屋上から下までそんなメッセージで満ちた、インスタレーションのような展示室でした。

No Warの部屋



アフガニスタンの写真、トビウで見た作品や、山子に再開できたり、手元で作った塑像をすごく拡大した迫力ある立体、奈良さんが弘前の高校生時代に仲間と作ったロック喫茶の再現など、奈良さんという作家の仕事の進化と、その中でずっと変わらないものを体感する、見応えある展覧会でした。

ところでまだ終わりではないのですね。
おそらく普段は常設展示のコーナーも奈良さんの個展の続きとなっていました。
常設の奈良さんの作品、プラス棟方志功の作品も一緒に飾られていたのは驚きでした。
考えてみたらだいぶ世代は違うでしょうが、同じ青森出身で、女性を描いていたり文字も画面に取り入れたりと共通点が多いのかもしれません。

奈良美智と棟方志功のあいだ、の部屋。向かい合う猫?



あおもり犬にも初めて会う事ができ。
天井があいた形で地下に設置してあるので、このまま雪に埋まっていきそう、、そんな感じでした。
実物を見ると下半身が埋まっていたり、伏し目がちだったり、ただかわいいだけじゃない、なんていうんでしょう…哀愁というか、包容力というか、すごく不思議な作品でした。

雪とあおもり犬



外にある八角堂もお忘れなく!森の子がいますので。那須のN’s Yardで見たのと、先日虎ノ門ヒルズで見たのも、また違う印象。

Miss Forest / 森の子


常設展も良かったのです。棟方志功あり、また青森出身のウルトラマンのデザインで知られる成田亨作品、寺山修司の舞台のポスターも見応えありました。
もう終わっちゃうようですが、常設展内企画の今純三展も良かったです。1893年生まれ、兄の今和次郎が考案した「考現学」調査に協力し、当時の青森の風俗を詳細にスケッチしたという。繊細な銅版画の中に昭和初期の青森が丁寧描かれています。当時はそんなに写真は気軽なものじゃなかったでしょうから、これもまた貴重な当時を知る資料ですよね。

シャガールは、たまたま上野で梱包終わった後時間があったので見ることができた国立西洋美術館の「キュビズム展」で見てすごくひっかかっていたので、4枚の巨大な背景画の「アレコ」をみた瞬間運命かと思いましたね。圧倒的。

マルク・シャガール バレエ「アレコ」の舞台背景画のうちの一枚



その後ミュージアムショップに寄ったりして、(グッズもカタログもめっちゃ良いのでスーツケースをあけていくべき)、一度バスで青森駅へ戻り、棟方志功記念館へ向かいました。
後から気づいたのですが、乗り継がなくても県美から棟方志功記念館まで行ける(青森駅は経由するのでショートカットではなくそこそこ時間はかかる)ねぶたん号というバスがあったのですね。本数少ないようですが。もしこれから行かれる方はチェックされると良いかもしれません。

雪の中の棟方志功記念館
内部の展示。代表作がゆっくり見られます。


棟方志功記念館、今年閉館してしまうという噂を聞いて行ってみたいと思っていたのでした。
同じ木版画作家のはしくれとして、伝説的作家である棟方志功の事はいつも気になる存在でした。
11月に東京近代美術館で生誕120周年の大規模個展も見たばかりで(青森県美から巡回した展覧会だったらしい)
行ってみるとそこは小さな美術館でしたが。
とてもゆっくり見ることができて(国立近美は混雑でゆっくり見られなかった)、棟方志功の記録映画も全部見て、そのエネルギーに圧倒され。晩年、下絵板に直接描いていたんですね…もう体が版画に特化してる。
奈良さんの最初期の「カッチョのある風景」に出てきたカッチョらしきものもその映像の中で見ることができました。

さっき奈良さんと棟方志功の共通点にちょっと触れましたが、なんていうか二人とも絵はぱっと見明るいのに、実はある種の悲しみというか、祈りのようなものが底にながれているような感じが私は勝手にしていて。森羅万象に向ける畏れ、敬意、そしてこの複雑な世界で生きる人間や動物たちの苦しみや痛みへの祈り。たとえば同じ東北の作家の宮沢賢治のような。

全てを覆いつくす無音の雪の重さに閉ざされる冬。

そして夏の美しい日の喜びもまたひとしおなのかもしれない。

青森についた夕方、駅の近くの「ワ・ラッセ」というねぶた祭りに関する展示をする場所を見学しました。
斜里のねぷた祭りは見たことがあったので(斜里と弘前は姉妹都市これも北国の悲しい事件を発端とした関係性)、なんとなくねぶた絵と祭囃子には親しみがあったのですが、こんな事言ったら斜里の人に怒られるけど、だいぶ規模が違う。
まず山車が大きいし、めっちゃ派手。どうやら青森人のねぶたにかける情熱がものすごい。
これもこの冬の厳しさあってかもしれない。コントラスト。

ワ・ラッセに展示されていた、去年賞をとったねぶた。



棟方志功は親戚でねぶた作りをしてる人がいたそうで、自分の作品へのねぶた祭りの影響を自ら言及してもいて。確かに言われてみたらずいぶん祭りのエネルギーも含めねぶた絵と共通点がある気がする。後年のカラー作品なども。

作家の生まれた土地でその人の作品を見るとは、こんなにも贅沢な事なんだなという事を、かみしめる体験だったように思います。どちらの展示もとてもゆっくり見られましたし。
奈良さんの個展を東京でやったら、人込みでこんなゆっくり絵の前で立ち止まるなんてきっとできない。

その人がこんな場所で、この時代に、こんな本や音楽に影響を受けてはぐくまれた感性、というのをしっかり見せてもらったけれど、
私は東京で育って今北海道に住んでいる自分の感性でそれをキャッチするほかなく。
もしかしたら全然見当違いのものを受け取ったり想像したりしているかもしれないけど、それでもいいのかもしれないとも思いました。
私は私の生まれ育つ過程で培った自分の感性を信じる。そしてそこに安住せずに常に問い直し、丁寧に磨き続ける。これこそが奈良さんから教わった事でもあるような気がします。

それを受け取ってはぐくまれた誰かの感性が、また誰かに影響を与えていく。
受け取ったものを大事に育てていきたい、そして自分も頑張ろうと思えた旅でした。
そして私も最新作が一番すごいと言われるような作家になりたい。
すっごく大変だと思うけど…!!


またりんごの季節に来てみたい、青森。
この後弘前へも行ったのですが長くなりすぎたので、SNSにまとめようかな。

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸から津軽海峡を臨む






今年もReraに寄付しました。そして石巻に10年ぶりに行ってきました。

今年も例年通り、宮城県石巻市で活動するNPO法人移動支援Reraに、ポストカードの売り上げの一部を、赤い羽根共同募金みやぎチャレンジプロジェクトを通じて寄付しました。
今年は合計で52110円です。
レストラン牧舎、東一条ギャラリー、しれとこくらぶ、手作りクレヨン工房tuna-kai様、東京都美術館ミュージアムショップ様、およびネットショップうしのつむじにて、チャリティーポストカードをご購入下さった皆様、本当にありがとうございました!

下記リンクより宮城チャレンジプロジェクトのReraのページへ飛びます。
よければご覧になってくださいね。

いのちをうつす展の作品搬出で東京へ行った後、実に10年ぶりに石巻へ行ってきました。
2011年、2014年にReraのお手伝いに行って以来の石巻でした。

日和山から南浜を眺める

あれからずっとReraの活動の報告は見ていましたし、代表をしている友人の村島さんとも連絡をずっと取っていたので、なんとなく知っているような気になっていた石巻。

2011年の7月に訪れた時は津波の被害の大きさに言葉を失い、避難所やできたての仮設住宅から、病院やお風呂へいく被災者の方たちの送迎。
2014年はまだまだ残るがれきの山を見ながら、仮設住宅とやはり病院の送迎がメインだったように思います。

今回村島さん夫婦にあの時行った場所を車で案内してもらったのですが、大きな仮設住宅団地だった場所は別の建物が建ったり、ソーラーパネルが建っていたり、何もない土地になっていて。それとは別にマンションみたいな背の高い復興住宅が建っていたり。津波でさらわれてしまった低い土地は完全にきれいな公園になっていたり、そしてもう当たり前ですががれきの山もなく、製紙工場の煙突からは煙がもくもくと出ていて、ああ、何も知らされなければ普通の平和な地方都市みたいだなあと、10年という時間の積み重ねを感じました。

津波の被害を伝える施設をいくつか見学しました。
南浜地区のみやぎ東日本大震災津波伝承館では、2011年の津波がいかに強いものだったか、それ以前にも繰り返し津波が襲った歴史などわかりやすく展示してありました。
真新しい円形の建物の、屋根の高さが津波の最大高さだったというのには驚きました。
震災前、南浜がどんな場所だったのかという写真もいくつも展示されていて、ああ、私は震災後の石巻しか知らなかったんだという当たり前の事に改めて気づかされました。
ここにたくさんの家があって、人が暮らしていた時の事を知らず、あの震災後の景色しか知らなかったのだと。
きれいに整えられた公園に、保育所の基礎だけが残されていました。
ここに通っていたこどもたちはみんな山に逃げて無事だったそうです。

みやぎ東日本大震災津波伝承館。この屋根の高さまで津波が来たそうです。
公園の中に残された門脇保育所の基礎

その後すぐ近くにある、津波の後火事で焼けてしまった震災遺構の門脇小学校の向かいにある伝承交流施設MEET門脇へ。
津波を知らない子供たちへの防災教育の場でもあるというこの施設では、こどもの時に被災した方の証言が漫画になっていたり、避難後の行動が命を分けることが分かりやすく展示されていました。
NPOの活動の記録も残っていて、2011年は毎晩たくさんのボランティア団体の報告会が行われていて、私もそこに一度だけ行った記憶があるのですが、その時のReraの報告書が残っていてそれを発見したり…。2011年当時本当にたくさんのボランティアが活動していたのを写真を見て思い出しました。Reraのように今もずっと継続して石巻の問題に向き合い続ける団体は少ないかもしれませんが、それぞれの団体や個人が、被災地に来て活動していった記録が、またあらたな災害が起きた時に確実に引き継がれていくのだという頼もしさも感じました。

MEET門脇と、奥に見える震災遺構門脇小学校
レラのポロシャツも展示してありました。持ってる!
ここでつい買ってしまった、有名なあの缶詰。


どこに行きたい?と聞かれてずっとひっかかっていたのが大川小学校と雄勝でした。

大川小学校はさんざんニュースにもなりましたから、おそらくご存じの事と思いますが、北上川の河口近くにあった小学校で、ほとんどの生徒が逃げ遅れてしまった場所です。
2011年、Reraの送迎の合間に、確か神戸から来ていた熟練ボランティアのおじさんと、もう一人のボランティアの人と、見に行ったのでした。
2011年に行ったときは写真はほぼ何も撮りませんでしたが(撮れなかった)、鮮明に覚えている場所です。
津波の威力でねじ曲がった鉄筋。どれだけの強さのエネルギーだったか。
この場所を残すことについては賛成意見ばかりじゃなかったと聞きます。
新しい伝承館に、被災以前の写真が残っていました。
学校だけでなく、集落ごと消えてしまった事。
海側から、川から、2方向から津波が来たこと。
私がこの学校の先生だったとして(教員免許を一応持っていますから他人事ではないですね)、裏山の急な斜面に避難する指示を、はたして出せただろうか。

震災遺構大川小学校



雄勝、女川は、地形的に津波の被害が激しかった場所で、美しい湾の周りにあったはずの町があらかたなくなってしまっているのを見て、2011年当時強く衝撃をうけました。
雄勝は硯の産地なんだよ、と確か地元のボランティアの人に当時教えてもらって、まったくピンとこなかったのですが、硯の産地というのはすごく印象に残っていて、いつかここで硯を買うぞと思っていたのでした。

三回目の雄勝は、高い防潮堤と、かさ上げされた場所に立つきれいな雄勝の石(スレート)をあしらった復興住宅、大きな道の駅と雄勝硯伝統産業会館というこれもスレートで覆われた立派な硯の伝統文化を伝える施設がありました。
雄勝の硯は室町時代から続く産業で、かつては国内の9割のシェアを誇った事もあったとか。
私が小学生の時に使っていた硯も雄勝の石だったのかもしれません…(そういえば私は小学校の頃何年も習字を習っていたのでした、今思い出しましたが)。
一緒に回って下さった方のご縁で、雄勝の地元の方にお会いして少しだけお話を伺う事もでき。

実際に被災していない私は、災害は最後は復興して終わるんだとぼんやり思っていたけど、「復興」とは元通りになることじゃないし、住んでいる人達の思いももちろん人それぞれで、ふるさとを思う気持ちも人それぞれで。
私は被災した後の石巻しか知らないことが本当に悔しいなと思いました。
被災前の石巻に、雄勝に来ておきたかったな。
硯を一つ自分へのお土産に買いました。
ちゃんと墨を擦って、使ってみようと思います。

高い防潮堤に覆われた美しい雄勝湾
自分へのお土産。


その後夕方になってから女川へ行き。
少ししか見られませんでしたが、女川はとてもきれいにリデザインされた素敵な街に変貌していました。
新しくできた商店街は土日は観光客でにぎわっているのだとか。
新しい駅も温泉付きでとってもおしゃれでした。
スーパーには女川産の魚がたくさん並んでいて。
でもきっとここまで来るのにたくさんの人の苦労や努力があった事でしょう。
それでも被災した交番の建物がものすごい力で押し倒されたまま移築されており。
被災の記憶を忘れない事が、新しい被害を防ぐことになるという、強い意志を感じました。

温泉付きの女川駅。温泉の中のタイル画もシンプルかつかわいかったです。
スーパーおんまえや。2020年に店舗を再建したばかりだそう。近所にあったら通いたい。

私は10年ぶりに来たけれど、10年ここで頑張ってきた人たちがいて、それぞれの思いと行動があって、今があるんだと改めて思いました。そして、これからも「復興」は続いていくことも。

案内してくれた村島さん夫婦と毛利さん、Reraの伊藤さん、本当にありがとうございました。

最後に美味しいもの情報。地元の毛利さんお勧めのそば処もりやのカレー南蛮そばがめっちゃ美味しかったです!!中のおそばが茶そばで、ほんのり甘くて初めて食べる味でした。こういうのは地元の人に教えてもらわないと食べられないやつです。

これぞ地元グルメ!


そんなわけで、長々書いてしまいましたが、10年ぶりに石巻に行けてよかったです。
もうすぐ東日本大震災から14年。それでもReraが石巻で必要とされる限りは、ずっと応援しようと思います。

観光に行って、美味しいもの食べて、震災遺構で自分の身にも降りかかるかもしれない災害に思いを馳せる、という旅行プランはきっと良いものになると思います。ぜひ、東北の被災地に今、行ってみてほしいです。

そして最後になりましたが、能登の震災について。

本当に日に日に信じられないような被害をいまだ目にするような毎日で、被災した方々はどんなお辛い気持ちでおられるかと思うと自分の無力感に苛まれますが…。

どうか少しでも健やかに過ごしてくださいますように。

そして現地で活動している方々には本当に頭が上がらない思いです。

きっと長い戦いになると思いますので、私も少しずつできることを探りつつ、現地の状況に関心を持ち続けたいと思います。











つくる、くちる、つくる、 落石計画 井出創太郎+高浜利也 網走市立美術館で開催中です。

つくる、くちる、つくる、
落石計画 井出創太郎+高浜利也
網走市立美術館で開催中です。
武蔵野美大在学中の恩師であるお二人の展示が網走美術館で!
毎年根室の落石岬旧落石無線送信所で開催されているアートイベント、落石計画。
去年落石で展示されていた作品を網走美術館で展示する試みです。
銅版という素材、腐食させるという工程、そして落石という場所の、全て腐食させるような気象条件、そしてあの空間。
それらを通して2人の銅版画家がそれぞれ真摯に取り組んだ作品が、網走美術館の展示室で不思議に響きあい、影響しあっているのです。
先日もう一度じっくり見てきましたが、美術館の空間にいながら、不思議とあの落石のひんやりと湿気を含んだ空気を思い出し、植物と腐食した銅の緑に覆われた、はるか未来の旧無線局に思いを馳せる時間になりました。
私も少しだけ展示のお手伝いをさせてもらいましたが、とても勉強になりましたし、卒業してからも何かとお世話になっていた高浜先生のお手伝いが出来てとても嬉しかった!
会期は3月1日から3月31日まで。あと一週間です。
お近くの方はぜひに!

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井出先生の廃銅板の作品越しに。

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井出先生の作品。手前が落石の茶室で使っているような、石膏キューブに植物のモチーフの銅版画を積み上げた「pircer d’ amor bush <蘭塔婆>」。

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高浜先生の作品。雁皮紙のしっとりとした質感が、苔のようで不思議です「朽ちる家/落石3」。作品を貼るのを少しお手伝いさせていただきました。

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今までの落石計画の関連資料のアーカイブもあります。

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3月31日までです!

今年も行ってきました。落石計画、第10期。

今年も根室の落石岬旧落石無線局(現 池田良二スタジオ)まで、落石計画を見に行ってきました。
落石計画サイト
 http://www.ochiishikeikaku.com/top/top.html

毎年おなじみになってきました、武蔵野美大時代の恩師の池田良二先生、高浜利也先生、井出創太郎先生たちが中心になって行われているアートイベントです。
今年は節目の10期(10年目!)という事で、クロニクル2008-2020 -痕跡と展開ー というタイトルで、10年間の間落石計画に関わった若いアーティストの作品が展示されていました。
先生方も含めて70人余りの作品が、小品とはいえずらりと並べられていて、いつもとはまた違った見応えがありました。
そして、こんなにもたくさんの方がいままで関わってきたのだなあという感慨もわいてきます。
学生さんたちにはきっといい経験だったでしょうね。そしてそれが制作に生かされていくのでしょう。
丁度ギャラリートークの日にお邪魔したので、作家さんたちの落石を起点とした作品にかける想いも伺えて、また発見がありました。
今年も昨年に引き続きお天気に恵まれ、岬まで行ってくることができました。相変わらずの絶景!
今年の会期は11日で終わってしまいましたが、また来年も楽しみにしています。


旧無線局外観。

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井出先生と高浜先生による銅の茶室も健在。だんだん渋みが増してきました。年月を経る事も作品の一部のようで、そろそろ内側を葺き替えるかな、なんてお話も。

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茶室の内部。井出先生の銅版画の版。

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今年のこどもたちのワークショップはぺりぺり版画だそう。今年も力作ぞろいでした。

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ギャラリートークの様子。豊田市美術館の学芸員さんを迎えて。

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室内と窓の外のコントラスト。

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岬へ続く道。外側の大きな葉は水芭蕉。春に来てもきれいなのでしょうね。

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今年も絶景。

小清水小学校で教えてきました。

先日、住んでいる小清水町の小学校にて、絵の指導をさせて頂きました。
ご近所に住んでいるPTA会長の山田さんに声をかけて頂いて、小清水小学校へ。
校長先生、教頭先生、6年生の担任の先生とお話しさせていただいて、せっかくなので、牛の絵を描いてもらう事になりました。
町内の大出農場さんで子どもたちと牛の見学、そして資料の写真撮り。農村といえどなかなか近くで牛を見る機会がない子も多いようで、子どもたち、楽しそうにしていました。最後にはお手製のヨーグルトまでごちそうになり!
私の作品もしばらく校内の図書室に展示していました。

授業の日は大きい版画も教室に持ち込んで、私の自己紹介を少しさせてもらった上で、絵を描いてもらいました。
2時間×2回の授業の、私は初回の2時間だけ見させてもらいました。
一応私は中学高校の美術の教員免許は持っているのですが、小学校で教えるのは初体験ですし、まったくどんなものだか想像もつかず…こどもに教えるメソッドもスキルもない中で、とにかく、牛を見た記憶、そして手元の写真をよく見て、うまく形を描けなかったとしても、そこから新たな発見をしてもらえたらいいなあ、と思っていたのですが。
子どもたち、本当にいい絵を描くのですよねえ。びっくりしました。
私は構図や、子どもがどうしたらいいかわからないようなところを少し指導したくらいで、みんなよく見て、自分なりの牛をちゃんと描いてくれたのです。
子どもたちの好奇心と集中力はすごいですね。
絵の具を塗った完成した作品も、全部ではないのですが見せてもらいました。どの子もとても素晴らしい絵でした。
貴重な経験をさせてもらって本当にありがたいと思います。

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こどもたちに興味津々の牛達。

サンフランシスコアジア美術館へ行ってきました。

先月後半、武蔵野美術大学時代の恩師、吉田亜世美先生のインスタレーション作品の設営のお手伝いに誘って頂き、アメリカ、サンフランシスコのサンフランシスコアジア美術館に行ってきました。
サンフランシスコアジア美術館での企画展示「Flower Power」展で、先生の木版画を使った桜のインスタレーションを設置するお手伝いです。
サンフランシスコアジア美術館のサイト 
http://www.asianart.org/

私は途中からの参加でしたが、雁皮紙に刷った小さな美しい木版画の桜の花を、壁に描かれた桜の樹に少しずつ貼り付けていく仕事は、緊張感とワクワク感が混じりあって、とてもエキサイティングでした。そして、とても勉強になりました。
一週間しかいなかったので、完成まで見届けられず本当に残念だったのですが…。大きな舞台で活躍する先生の仕事を、間近で見ることが出来たことは本当に刺激になりました。言葉が通じない場所で、美大の現役や卒業したての若い仲間との生活や、この仕事を通しての様々な出会いも。実は初海外でしたし。
卒業してからずいぶん経つのに、こんな風に気にかけて誘って下さって、本当に嬉しかったです。
この経験を糧に、また自分の作品にも厳しく向き合っていきたいなと思いました。

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先生の作品、Yedoensis 。ソメイヨシノの学名だそうです。
美しい木版画の桜の花を1枚1枚、みんなで心を込めて貼っていく、そして少しずつ満開になっていく桜の樹には、魂が籠っているようでした。
写真でうまく撮れませんでしたが、この壁の反対側には散りゆく桜の樹が、そして天井にも枝と花があるのですよ!桜のトンネルのようになっているのです。
サンフランシスコ、日本からは遠いけれど、もし見られる機会のあるかたはぜひ見てほしい…。そしてわたしも、完成した桜を見にもう一度サンフランシスコに行きたい気持ちでいっぱいです。あの桜のトンネルの中で、ゆっくり作品を味わいに!
こちらにアジア美術館の動画を貼っておきます。先生が作品について語っているところを見ることが出来ます。
Flower Power展は10月1日までです。


サンフランシスコアジア美術館の外観。大きな建物で、全体図がちゃんと撮れていませんでした…。石造りのとても素敵な建物で、常設展のアジア美術のコレクションも本当に見応えがありました。日本だけでなく、インド、中国、韓国…古い美術も新しい美術も一緒に展示されていて、とても面白い常設展でした。
宿泊させていただいた美術館のボランティアガイドさんのお宅には、日本美術に関する本が本棚にぎっしり詰まっていました。
日本の美術がこんなにも日本の外でも愛されてるんだということが、誇らしくもあり、全然知識のない自分が恥ずかしくもあり。


サンフランシスコMOMAとデ・ヤング美術館。とにかく広いし作品が大量にあって、スケールが大きい。有名な巨匠の作品がこれでもかと展示されているMOMA。デ・ヤング美術館のサマーオブラブの企画展は本当にたくさんの人であふれかえっていたし、常設展の巨匠の作品に、アフリカや各地の先住民の美術など、アメリカの歴史に根差したシリアスなコレクションも見応えがありました。どちらもお客さんがたくさんいて、美術文化がとても充実している事を感じました。



ついついスーパーで乳製品チェック。とにかく種類が豊富で、大きくて、値段も安い。これが本場か…という気持ちに。できることなら全部試したかった…。日本にはないペットボトル牛乳もあり、全体的にパッケージのデザインもかわいい!購入した牛乳はどれも美味しかったです。
食べ物にはあまり期待せずに行ったけれど、食べたものはすごく美味しかったです。安くて豊富な乳製品に、カリフォルニアのフルーツに野菜。お肉もいろんな種類があって、いちいち大きい。魚はスーパーにはあんまり種類はなかったけれど、レストランに行けば美味しいものがいろいろあるとか…。アメリカは美味しい。
サンフランシスコでびっくりしたのは、街はきれいなのに、浮浪者がとても多いこと。
そのあたりは、自己責任の国の厳しさなんだなと。
日本から出たことがなかったので、街を歩いていて、そんな浮浪者の人や、ちょっと挙動がおかしい感じの人がたくさんいて、そして当たり前ですが周りがみんな日本人ではないこと、言葉が通じないこと。最初の何日かかなり心細かったです。自分がマイノリティであるという経験をしたことがなかったなと思い知らされた気がしました。
けれど、帰る頃にはだんだんその混沌のような中に身を任せるのがすこし心地よいような気もしました。
本当にいろんな人種の、肌の色の、服装の、ありとあらゆる見た目の人達が混じりあっている場所。
そういういままでにない感覚を自分の身体で感じられて、思いきって行って来てよかったなと思いました。
サンフランシスコの街は、6月23日のPRIDEパレードに向けて、街がレインボーカラーで溢れていました。
LGBTの人たちの権利を主張する、世界中からLGBTの人達がやってくるパレード。
見逃して帰ってきたのがとても悔やまれるのですが、それを町ぐるみで応援しているということが、あー、なんだかアメリカなんだなあ!と。

レインボーカラーにライトアップされたサンフランシスコ市庁舎。

スーパーのケーキ屋さんで買ったレインボーケーキ。
見た目はすごいけど、味は美味しかったですよ。

アジア美術館にいた、インドの牛の石像。リアルで可愛くてとても良かった。
いつかアメリカの牛に出会う旅も、出来たらいいなあと思いました。
すっかり報告が遅くなってしまいましたが、こんな素晴らしい経験をさせてくださった先生、現地でお世話になった皆様、初めての海外にきもちよく送り出して下さった周りの人達、改めて、ありがとうございました!

池田良二展と落石計画第9期に行ってきました。

お世話になっている
網走市立美術館
にて、武蔵野美大時代の恩師、池田良二先生の展覧会が開催されています。
初日のギャラリートークに行ってきました。
池田先生には武蔵野美大時代、版種が違った事もあり(池田先生は銅版画、私は木版画専攻だったので)、そこまで一緒にすごしたり、お話を伺う機会も多くなかったような気がするのですが、今回たくさんの作品を先生の解説付きで見る事ができて、恥ずかしながら初めて池田先生の作品世界に向き合えたような気がしました。
銅版画の写真製版を、独学できわめられた先生の不思議なイメージ、深い質感と相まっていつまでも見ていたくなる感じです。
そして先生のお話の教養の豊かな事。学生の頃もっといろいろお話伺っておけばよかったなあ…しかしこうして網走の地でご縁があるというのも不思議なものです。
お近くの方はぜひ!銅版画のイメージが変わるかもしれませんよ。
池田良二版画展ー静慮と精神の息吹ー
会 期 2016年 8月6日(土)から 9月25日(日)まで
     開館時間 AM9:00~PM5:00
会 場 網走市立美術館 第1・第2・第3展示室
作 品 池田良二氏の銅版画作品71点を展示
観覧料 高校生以上500円 小中学生250円
     *常設展もご覧になれます。
     *網走市・大空町の小中学生は土曜無料


そして次の日、根室の落石計画へ。

落石計画website


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根室の落石岬にある、旧落石無線局跡の池田良二スタジオで毎年開かれているアートイベント。
今年でなんと9年目。
井出創太郎先生と高浜利也先生の銅版茶室「対話空間」。時の流れとともに毎年ち変わっていく茶室にまた少しづつ手を入れているそう。
奥にあるのが、池田先生の石彫作品「蹲」。

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若い作家さんの作品も。大山実希さん、所彰宏さん、山口麻加さん、佐藤琢巳さんの4名。
あんまりちゃんと写真が撮れていませんでしたが…どの作品も建物の空気の中で存在感を放っていました。
こちらは大山実希さんの作品。木版画の植物、好きな感じです。

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今年は初めて初日に行ったので、地元のこどもたちと一緒に行っているワークショップも見る事ができました。
子どもたち、本当に楽しそうに作品を作っていて、あのどっしりと重厚な場所がなんだか華やいだ雰囲気に。

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そして、今年はなんと晴天だったので、岬にも行ってきました。池田良二スタジオから、歩いて15分くらい?この世のものとは思えぬ絶景で、お天気に恵まれたらぜひ見てほしいところです。
お天気のおかげで、落石岬周辺は昆布干しの作業でとても忙しそう。(写真はないですが)、同じ北海道でもこちらと全然違う景色に、異国に来たような旅情を味わいました。

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池田良二展を見た次の日だったので、落石で池田作品のイメージの源泉も訪ねる事ができて大満足でした。
もう一度網走美術館に作品見に行きます!
落石計画は来年以降も続ける予定だそうですので、興味のある方はぜひに。
交通アクセスはとっても悪いところですが、それだけの価値はあると思います。
ちなみに以前落石計画に行った時の私のブログ記事はこちら。

2012年。


2013年。

茶室の経年変化が感じられますね。そしてどっちの年も霧が。

子ども芸術フェスティバル。

斜里町子ども芸術フェスティバルの事を。
お世話になっている標茶の手作りクレヨン工房Tuna-kaiさんのワークショップをお手伝いさせてもらいました。

再生紙の葉書に、Tuna-kaiさんのクレヨンや絵の具でリンゴを描こうというワークショップでした。
体験に来てくれたこどもたち、本当に素敵な絵を描くのですよ。Tuna-kaiさんの画材の自然の色味、クルミの殻に入った珍しい絵の具、それらをじっくりと味わい尽くすように、時間をかけてずーっと描いている子も何人かいました。
写真はワークショップが終わったあとの使い尽くされた絵の具ですが、その下の黒く塗られたところ、女の子がひとり、周りでお友だちが楽しそうにしていても真剣に、紙が破けるまで色を重ね続けていたところです。
こどもたちの集中力、純粋に色や画材を味わうその姿に、なんだか胸を打たれる思いでした。
一人、抽象のようなとてもきれいな絵を描いていた男の子がいて(絵の写真を撮らせてもらえば良かった)、その絵をとても誉めたのですが、どうもそれが嬉しかったようで、後で再生紙の厚い葉書が捲れてくるほど力強く筆で擦って描いた絵を、私にくれました。私もとても嬉しかったのです。
普段あまり子どもに教えたりする機会はないのですが、むしろ私の方がたくさんの気付きをもらった気がします。

子ども芸術フェスティバルと関連させて、斜里町図書館で、ただいまTuna-kaiと12人の作家たち展を展示させて頂いています!
こちらもまだの方はぜひご覧になって下さいね!
3月6日まで。
そのあと夕方は奈良美智さんの講演会。
奈良さんの子ども時代の弘前の写真などをスライドで見せて頂きながら、子どもの頃どんな風に過ごしたかなどお話して下さいました。
子ども時代の弘前と、斜里の雰囲気がよく似ているのだとか。
それから旅のこと、作品の事、絵を描くようになったきっかけなど。
奈良さんは本当に飾らない人柄で、会場は終始温かい雰囲気につつまれていました。
気の向くままにお話しされるのを聞いているうちに、奈良さんの作品の事もずっと身近になった気がします。
奈良さんも予備校の講師をされたときに、学生に教わることが多かったというお話をされていて、少しその日の自分の体験ともリンクしてちょっと嬉しかったです。
私ももっと、頭を柔軟に、どんどん視野を広げて、良い作品を作りたい!そんな気持ちにさせてもらいました。
オープニングアクトの佐藤ぶん太さんの津軽笛演奏も素晴らしかった!
他にも笛づくりやパンづくりのワークショップもあったり、展示物もおおきなねぷた絵や中学生の作ったねぷたやお囃子の楽器に弘前の工芸品、地元の高校生たちが作った弘前地図にかわいい顔出しパネルに…盛りだくさんの芸術フェスティバル。こんなイベントがあって斜里のこどもたちは幸せだなと思いました。
来年もまた楽しみにしています。

全日本ホルスタイン共進会。

ポスターを描かせていただいた、第14回全日本ホルスタイン共進会北海道大会を見に、安平町へ行ってきました。
会場のあちこちに自分が描いた牛が貼られているし、パンフレットの表紙にも使っていただきました。
共進会の事を全くわからないままにお引き受けしたお仕事で、取材したりいろいろ教えていただく中でなんとかかきあげましたが、実際現場に足を運んでみて、本当にこの絵を描かせてもらってよかったなと思いました。
つやつやに整えられた立派な牛達。牛をひく農家さん、農業高校生たちの真剣な姿、そしてリングを歩く人と牛の息がぴったり合っていたり、いつもと違う舞台にペースを乱してしまった牛がいたり。客席から見ているだけでも様々なドラマがあって、胸が打たれるような瞬間がいくつもありました。
延期が重なり10年ぶりの全国大会という事で、ここに来るまでにも本当にたくさんの喜び悲しみご苦労があったのだろうなあと…。
そんな皆さんの夢が詰まったようなこの大会で、微力ながらポスターという形で協力させていただくことができて、感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました!

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未経産牛の審査。会場は満員です!

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自分の描いたものがこんなに大映しになっていて、嬉しいやら恥ずかしいやらでした。

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初日の名誉賞の審査の様子。

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原画はこんなところに飾ってくださっていました。

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ジャージー牛の部もありました。

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ジェネティクス北海道さんのブース。今までのサイアの表紙の絵と、版画も飾っていただきました。
会場にはたくさんの企業や団体のブースが出ていて、酪農関連の見本市のようになっていました。

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グランドチャンピオン決定の瞬間。北海道更別村の天野さんの牛「レデイスマナー MB セレブリテイ」です。おめでとうございました!

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